欲を楽しめるから軽く生きれるワケ。

人間という体験は、今しかできません。

その体験を楽しむために、「欲」があります。

間違っても、欲があるからダメだとか、禁欲しないと軽くなれないとか、そういうことではありません。

 

むしろ、欲があることを禁止するというのは、宗教的概念であり、軽く生きるための価値観ではなく、重くなる価値観だということに気がついてみてください。

 

欲を楽しめるから軽く生きれるワケ。

もし、人間の感じる欲がなくなったらどうなると思いますか?

食欲、睡眠欲、性欲などすべてがなくなるんです。

 

多分、何も感じることがない世界になると思いますし、その状態で人間という体験の楽しさというのはどこにあるのかと思うはずです。

 

食欲があるから食べることを楽しむことができます。

睡眠欲があるから、寝ることを楽しむことができます。

性欲があるから、人とのエネルギーの交流を楽しめるのです。

 

それらを純粋に楽しむことができるから、欲というものが素晴らしいものになりますし、素晴らしいものだと感じるから、それらが自分の中から出てきた時に楽しめるんです。

 

今までの社会では、「欲」というもののイメージについて、重くなるようなイメージをつけてきました。

例えば、食欲に関しては、たくさん食べて太ることは、イメージとしてダメなこと。

睡眠欲も、寝てサボってないで働くことが素晴らしいこと。

性欲も、恥ずかしいこと。

 

どの欲に対しても、重くなる価値観を必ずつけているんです。

その結果、それを信じているから、「欲=重くなるもの」だという解釈になり、純粋な楽しさを感じることができなくなるんです。

 

ただこれらは、あくまで「価値観がついているもの」であるだけで、その価値観さえ変えてしまえば、いくらでもイメージを変えることができるようになります。

 

禁欲は重くなるだけです。

例えば、禁欲することで波動エネルギーが軽くなる。

自分を律していれば、波動が軽くなっていく。

という価値観を持っていれば、軽く生きたいと思えばそれを実行することになります。

 

ただ、ここで考えてもらいたいのは、波動エネルギーは条件における影響を受けないということです。

 

禁欲を「しても」「しなくても」、波動エネルギーのことが感覚的にわかっていれば、自分の共振するエネルギーを変えることはありません。

つまり、禁欲をしたから波動が軽くなることはないんです。

 

禁欲をすることと、軽い波動に共振することは別になります。

別のことに因果関係を結んでも、そこには真実がないので、波動が軽くなることはありません。

 

波動が軽くならないということは、体験する現実が軽く変わることもないんです。

ということは、禁欲をしたところで、軽く楽しい現実を体験することはありません。

 

むしろ、禁欲という「我慢のエネルギー」によって、現実自体が重いものになります。

さらに、もし禁欲によって崇高な、精神的に素晴らしい世界が出来上がるとするならば、もうすでにその現実になっているはずだということです。

禁欲が精神性を高める(?)なら、もうすでに社会全体がそうなっているということになります。

 

ピラミッド社会と同じような組織になることはありませんし、争いもなければ、主従関係もないはずです。

修行もありません。

 

今なってないことは、これからもなり得ません。

もし、本当に楽しく生きるための価値観や、ご機嫌で生きるための方法であれば、それを知ること、それを実践している人が、楽しくご機嫌で生きることをしています。

そういう人は、合うだけで楽しくなれるんです。

 

自分がご機嫌で楽しんでいることで、エネルギーが溢れています。

その溢れているエネルギーに共振することができるので、一緒にいるだけで楽しくなれます。

 

そこを基準に人を見ていると、本当に楽しく生きているのかどうかがわかります。

そして、どうすれば楽しく生きることができるのかを理解しているので、その方法も知っているのです。

 

さらに、その方法自体も、自分の体験として知っているので、具体的なシフト方法を伝えることができます。

この物質次元レベルで、どうすればいいのかを知っているからです。

それが知恵だということになります。

 

誰かから聞いたことを伝えていると、それがありません。

知恵ではなく知識で止まっているんです。

 

体験したことがないことだから、実感がないことを伝えるので、抽象的な話が増えていきます。

 

それらの話を知識として仕入れることは1つだと思いますが、その情報を仕入れて自分の日常でやってみた時に、特に変化がないのであれば、そのまま待っていても変化することはありません。

使ってみて変化しないのは、エネルギーの流れを変える情報ではないからです。

 

つまり、今までと同じエネルギーだということになります。

今までと同じというのは、重いエネルギーだということです。

 

知恵が軽くなれるものであれば、やってみると軽くなります。

軽くなるのも、瞬時に変わるというよりも、徐々に変わるようなイメージです。

 

急激な変化をすることも、重い世界の価値観ですよ。

すぐに変わることが素晴らしいというのも、重い価値観です。

 

自然にゆっくりと自分の反応が変わったり、自分の感じることが変わったり、思考が変わったり、言葉が変わったり。

その変化自体にも気がつけないくらいの、腑に落ちる変化をしていきます。

これが、軽い世界の変化になります。

 

そしてその方が、時間がかかるように見えて最短だったりするんです。

 

欲はすばらしいもの。

欲を選ぶことはできません。

例えば、睡眠欲だけを選んで、あとは禁欲するということはできないのです。

 

1つでも禁欲すれば、すべてを禁止することになります。

そして禁止は我慢なので、重くなります。

 

だからこそ、どれも禁止する必要はありません。

感じたことをやればいいんです。

 

食べたかったら思う存分食べることを楽しんで、寝たい時は寝ることを最大限楽しみ、人との交流を楽しみたい時はそれを楽しめばいいということになります。

そうしていくことで、自分の中が満たされていきますので、自然と過剰に求めることはなくなります。

 

重い世界って、食べることも寝ることもS○Xをすることも制限がかけられています。

だから、たくさん欲しくなるのですが、これっておかしいですからね。

 

人間を楽しめていないので、たくさん欲しいという思考になります。

そしてその思考は「重い」ので、重い現実を創造します。

 

例えば、「食べ過ぎた」ことに対しての罪悪感がそうです。

楽しく食べたい分だけ食べていれば、罪悪感なんて生まれません。

 

満たされていることがわかれば、必要以上に欲しくならなくなるんです。

とめどなく欲しくなる理由は、心が満たされた状態を知らないからになります。

 

この自分が満たされてご機嫌な状態を知っていれば、自分にとって必要なものを手に入れることができるんです。

だから、安心して人間としての体験を味わい切ることができます。

 

楽しさを味わっていると、必要なものはずべて手に入ることも、自然と理解できるようになるのです。

そして、それらを集める方法や、手に入れることができる自分って「すごい」と思えます。

 

欲を楽しむって、それだけの効果があることなのです。

だったら、楽しむほかありませんよね。

 

まとめ

欲だけではありませんが、禁止するというのは、誰の得にもなりません。

むしろ、自由がなく、楽しくない重い世界の価値観です。

 

これを自分にしている限り、軽く生きることはできませんので、やめることをオススメします。

さらに、禁止するという思考エネルギーを、自分以外の周りにしているのであれば、それは自由への介入になり、そのエネルギーをそのまま自分も受けることになるので、アナタの自由がなくなります。

それが子どもや家族という存在であってもです。

 

お互いが自由に生きることで、お互いがご機嫌になり、それぞれがそれぞれの楽しさを生きることができるようになります。

その方が、ずっと自分の人生を楽しめるようになりますよ。

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