誰かを尊重しようと思っても、自分が自分のことを尊重できていなかったら、どういうことが尊重なのかがわかりません。
わからないことを誰かにしようと思っても、やっていること自体がズレるのです。
だから、「やってあげているのに」というような、周りのために生きることになり、そのエネルギーは重いエネルギーなので疲れてしまいます。
疲れて体力が減ると、それを埋めるためにエネルギーバンパイアになったり、ストレス発散をしたり、誰かの気を引いたりするので、楽しくない現実を体験することになるのです。
自分を尊重できるから、尊重の意味がわかる理由。
では、自分を尊重するという意味について解説していきます。
そもそも、尊重というのは、自分のやること、思うこと、感じること、信じることに対して、「それでいい」と思えることになります。
例えば、怒りの感情を感じたとしても、その怒りを感じている自分に対して「それでいい」と思えることです。
怒りを感じている自分がいる。
ただそれを受け入れていけると、そこからどうしたいのかを決めることができるんです。
これは、「許す」とは違います。
自分を許すという思考エネルギーは、尊重とは真逆の思考エネルギーです。
自分で自分を許すということは、基本的には許していないエネルギーになります。
自分のことを許していないって、ものすごく重たいエネルギーなんですよ。
そのエネルギーで、周りのやること、思うこと、感じること、信じることに対して「それでいい」とは思えません。
イメージして貰えばわかると思いますが、自分がご機嫌で自由にやること、思うこと、感じること、信じることができれていれば、周りのことが気にならないと思います。
でも、やること、思うこと、感じること、信じることができていないと感じていれば、それを自由にやっている人に対して、「羨ましい」とか「特別だからできる」とか「私にはそんな能力がない」とか、そういう言葉が出てくることになります。
そういった言葉が出ているときは、重いエネルギーに共振していることになるので、そういう言葉が出てくるんです。
これって、どのエネルギーに共振しているかだけの問題だということがわかると思います。
だから、自分がどのエネルギーに共振して物事を考えているのか?ということが重要であり、意識的に共振しているエネルギーを変えない限り、考えていること自体を変えることも無理だということです。
まずは自分のことから始める。
では、日常でもできるエネルギーの切り替えについて解説していきます。
まず、どんな選択肢でも、自分の1番最初に「こうしたい」と思ったものを選ぶことでエネルギーを切り替えることができます。
例えば、500円のカツ丼と1200円の天丼で、天丼が食べたくて入った場合をイメージしてみてください。
ここで、何を自分は考えて行動しているのかを考えます。
値段で決めることも1つの選択肢ですし、食べたいものを食べることも1つの選択肢です。
両方を食べることもできますよね。
ここで、素直に自分が1番だと思うものを選ぶことができれば、ご機嫌に料理を食べることができます。
ただ、値段で決める場合、「安いからこれにする」という動機によって選んだとして、カツ丼を食べた自分が最高にご機嫌なのであれば、その動機でも自分にとっては十分な選択肢になりますが、カツ丼を食べながら「天丼にしておけばよかったなあ」と思うのであれば、それは本当のご機嫌ではないということになり、「安いからこれにする」という思考は、自分にとって重たくなる思考だということになるのです。
逆に、無理して天丼を頼み、「やっぱりカツ丼にしておけばよかった」と思うのであれば、それも自分が重くなるきっかけです。
これは、どのパターンでも当てはまります。
たくさん食べた時に「またたくさん食べちゃった」と思うのであれば、それは自分が重くなる行動ですよね。
周りと同じものを頼んで、別の方がよかった思うことも重くなる行動です。
逆に、たくさん食べても、周りと合わせても、自分がご機嫌だったらそれが自分のご機嫌だということになります。
その状態になれば、ハートは満たされていくので、気分は軽く楽しいものになるんです。
だから、その後の現実も楽しいものになります。
このように、たった1つの天丼かカツ丼を選ぶだけでも、無数のタイムラインが存在し、どのタイムラインを選ぶかは自分次第だということになります。
そして、そのタイムラインを選んだ結果、自分自身のリアクションを感じた時に、ご機嫌で楽しいものになれば、それが自分にとっての真実になります。
コツがわかれば臨機応変に使える。
いろんなパターンを試してみて、自分の思考や行動パターンを意識していれば、どの感覚が自分にとってご機嫌な現実を作ってくれるのか?ということを理解できるようになります。
理解できれば、他の選択肢にも応用することができるのです。
カツ丼と天丼の事例で、「自分のご機嫌はこういう感覚の時だ」ということがわかれば、コーヒーか紅茶を選ぶ時にも同じように感覚で決めることができますし、住む家を選ぶときや、新しいことを始める時なんかにも使えるのです。
「この感覚だったらいける」と思えるようになります。
ここまでできるようになると、自分を尊重することが当たり前になるのです。
「尊重」というものを意識しなくても、できるようになっています。
尊重していて当たり前だから、周りのことを尊重することも当たり前になります。
その結果、周りのやること、思うこと、感じること、信じることを受け入れられるようになるのです。
自分と周りは別だということがわかるようになります。
それが例え家族であってもです。
どんな関係性なのかは、今の社会の中での関係性であり、自分以外は全員他人だということに変わりはありません。
家族という関係性だから、街を歩いている知らない人だからとか、そういうことではないんです。
極端を言えば、虫やアリのような存在も、自分とは他人なのです。
どの存在に対しても、今までの世界の価値観で測ってきたものを超えて感じることができるかどうかが、尊重しあえる世界を生きれるかどうかの1つのターニングポイントだと思います。
「人間に対してはできても虫はダメ」ということはありえないということです。
人間も虫も同じです。
そして、アナタから出るエネルギーは、アナタに返ってきます。
それが人間でも虫でも同じだということです。
家のお風呂にヤモリがいたことがありましたが、テレパシーを使って話しながら交渉していると、すんなりお風呂から出てくれました。
カラスと話していると、朝カラスが起こしてきます。
入居する前にベランダにたくさんのカラスの糞がありましたが、仲良くしていればそれもしなくなるんです。
友達の家に糞はしないですからね。笑
それくらい、生きているすべての存在に意識がありますし、波動エネルギーのことがわかれば話をすることもできます。
だからと言って、人間がダメな存在なのではなく、それらを教えてもらっていないだけだということです。
教えてもらっていないだけだということは、能力自体はあるということになります。
だから、感覚の使い方さえわかれば、誰でもできるようになることなのです。
そのために、カツ丼や天丼のような、日常の小さな選択を意識的に選んでみてください。
そこがスタートです。
まとめ
尊重という意味がわかると、心が自立します。
心が自立して、バランスが取れて、ご機嫌になっていくと、波動エネルギーは自然と軽くなっていきますので、そこから生み出す現実も軽くなっていきます。
もし、「軽くないな」「ちょっと重たいな」と思ったとしても、自分で意識的に選んだというプロセスや経験から、そこからどうすれば軽くできるのかを知っていると思います。
だから、自分で意識的に取り組むことが大事なのです。
誰かに一気に変えてもらうと、臨機応変さがなく依存心が生まれます。
それは決して、心の自立や自由ではないのでオススメしません。
どんな時も、自分で決められることが、自分への尊重ですよ。