活気がない。
世の中に、全く活気がないのだ。
楽しく話している人の言葉は、すべて外国語。
つまり、日本に住んでいる、もしくは、旅行に来ている外国人。
その多くが、楽しそうに話をしている。
いや、話をすることを楽しんでいる。
さて、日本人はどうだろう。
電車に乗ればスマホ、歩いている時もスマホ、車を運転しながらスマホ。
もちろん、違法ではあるが、運転していれば、周りの車の多くが、スマホを片手にしていることに気がつけるはずだ。
そう、そういう社会になっているのだ。
スマホ=自分
のような、そんな世界になっている。
ここに、人との交流がほとんど含まれている。
だからこそ、ネットで炎上すれば、それがさもダメなことのように思えるのである。
ネットは、匿名だ。
誰がどういうことを言っているのかわからない。
もしかすると、小学生かもしれないし、高齢者かもしれない。
誰がどういう視点で書いているのか、はっきりしない世界がそこにはある。
つまり、安全地帯から、言いたいことだけを無責任に言える世界なのだ。
その世界が当たり前になっている今日この頃。
そりゃ、リアルに面と向かって何かを伝えることは下手になるし、言いたいことも言えなくなるのは、ごく自然なこと。
気持ちや感情というものを通り越して、ただの言葉だけが右往左往するネットに慣れれば、自分の気持ちを伝えるなんてことも、なくなる。
そして、バーチャルだからこそ、時間というものに対しての価値が生まれ、「早く」という意識が大きくなってしまい、「せっかち」な人生へと突入していく。
この文章だって、途中で面白くなければ、いつでもブラウザバックできるのだ。
無料というものが、ごく当たり前になり、消費することに対して「買う」という意識がなくなれば、経済が衰退するのも当たり前のことである。
そりゃ、活気がないのはごく自然なことになるし、物価上昇ばかりに意識が向くことになる。
果たして、それにフォーカスを当てることで、この世界は活気を取り戻すことができるのか。
ないところにフォーカスが当たれば、ないものしかできあがらない。
であれば、あるにフォーカスすればいいだけになる。
活気を生み出すために、お金を回せばいいのかというと、そういうことではない。
お金が回らないのは、コミュニケーションが円滑ではないから起こることなのだ。
だからこそ、スマホ中心の世界をしているかぎり、コミュニケーションをする場所も、学ぶこともできないので、何をやっても、活気は生まれないということになる。
スマホが悪なのではない。
大事なのは、スマホに飲み込まれている人生をやめることだ。